えんとろぴぃ

落語、読書、映画

『0.5ミリ』からはじまった、立川談笑『居残り佐平次』

『0.5ミリ』の主人公サワが居残り佐平次ばりだということがパンフレットにあったので、言われてみるとそのとおり、安藤サクラの演じるサワに佐平次を感じる。そういう気持ちにさせてくれる演技なのだから素晴らしい、安藤サクラはこれからもみていきたい役者です。ほとんど同時期に公開された『百円の恋』も全く違った役ですごいことをやっていました。

映画についてではなく佐平次について。しっくりくると聴きたくなって、ここしばらく居残り佐平次ばかり、志ん生、談志、志ん朝、一朝、円丈、談笑、あたりを自分の持っているものや、YouTube で立て続けに聴いていました。聴き方についてひとつ余談ですが、先日開始されたアップルミュージックに登録しているので、試しに居残り佐平次を検索してみたら、一朝と志ん輔があるようで、古いものは無いようですが、音源があるだけ驚きました。プレイリストを作って、体系づけたりできるので、今後もっと充実すると面白そうです。

さて居残り佐平次ですが、ちょうど翌日にぎわい座で、談笑の独演会があったので、ひととおりの最後に談笑を聴いたのですが、談笑得意の古典の改作の中ではいまいちピンとこない、あのハッとさせる感じもあまり強くない。従来の方がいかにも落語的な風情を感じるうえ、この噺は「幕末太陽傳」を観てさらにイメージがおおきくなっていて、落語と映画によって脳内の風景がよりきめ細かく、深みをもっています。フランキー堺のつくる哀愁は落語で聴くと感じないものがあって、佐平次のキャラクターをより愛着のあるものにしてくれます。それに対し大店のにぎやかさや、海沿いの風景などは落語を聴いて脳内に描いたものをちゃんと見せてくれる、といった具合に落語と映画によって居残り佐平次が特別な噺になっていきます。
そんなことを考えていた翌日のにぎわい座。二席で中入りあと一席、というコースで前半は粗忽シリーズで堀之内と粗忽長屋。堀之内は夏バテを感じる、おわったとたん給水に走る師匠。粗忽シリーズは談笑本人の性格が抜けているというお墨付きを談志師匠からもらっているという触れ込みで、そう枕でふられるとなんだか可愛げも増してきたように思えてきます。
そして中入りのあと幕が開きます、高座につくなり噺は始まり、注文した酒を待つ男に、隣で飲んでいる男が声をかける。まさか!である。思い切り拍手しそうになりました。そうです、なんと居残りがかかりました!
これだから落語はやめられネェ!と叫びたいような心持ちになりました。さらにものすごいのが噺のディテールが研ぎすまされていたところです。前日に音源を聴いていたばかりなので違いもわかります。終盤にかけてのお菊ちゃんの出てくるところからがすごかった、談笑の改作のミソである少しイヤーな心持ちになるようなシーンの作り方、しかもそれは現代性に根ざしているのでこちらにもどんどんそれが粘り気をもって入ってくる。このお菊ちゃんのところは、佐平次が内部からお店を取り込むことに成功したのち、お店の花魁をあつめて唄やメイクを指導したりするところ。中盤を短くして終盤のここを長くしているだけあって見所でした。すべてが見事な談笑節、本当の現代性の注入なのです。唄の指導のところはアイドルの振付の先生、メイクの指導は最先端のメイキャップアーティスト、ひいてはお菊ちゃんの身請け話を、アイドルが自身のグループのメンバーから抜ける時に使われる、卒業という言葉を「お菊ちゃん、卒業です」なんて使いまわすという、これらは日常に誰もがテレビから得ている脳内イメージを巧みに引っ張りだしてきて、徹底的に揶揄しています。表面的にならずにギャグの中にしっかりと埋め込まれているので、えも言われぬ嫌な感じがするのに笑いが止まらないという、これぞ談笑落語の真骨頂!といったところです。クライマックスへの絶妙なテンションの上げ方は以前の構成からずいぶん洗練されています。ちなみに中入り前の粗忽長屋に伏線のようなところもあって、死体の前に群がる群衆をかきわけるところで「なにがあったんです?」と聴く主人公に群衆のひとりが「若い女の子が集まってジャンケンしてるみてぇだよ」と答えるところがありました。それに「おれはそういうの大嫌いだよ」と返す、これがさっきのお菊ちゃんのところに生きてきました。そういう流れがつくれるのが独演会のキモですね。
談笑落語の洗練を味わえたことが、居残り佐平次がかかるという幸運に輪をかけて素晴らしい体験となりました。
もっと落語を見に行かなければとこれほどまでに思わされることはありません。

 

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